サイトを更新できずにいる間に、いろいろなことがありました。
2003年5月13日(火)元気いっぱいだったぷちも亡くなりました。
ぷちは、ぴあが亡くなってからしばらくは座椅子に寄りかかるようにしないと眠れないようでしたが、
猫の一太郎(いった)と仲良くなってからは、いつもイッタと一緒に寝ていたようです。
亡くなる一週間前まで、ご飯もバクバク食べまくり、よたよたしつつもぎりぎりまで自分で歩いてトイレにも
行ってくれ、本当に本当に家族孝行なぷちでした。
ぷちは、たぶん脳梗塞と思われる症状で、亡くなる一週間前に突然倒れました。
その後、特有のものすごいいびきをかいて昏睡し、ふっと目を覚ましたかと思うと、また昏睡し…を
繰り返しました。
ぴあは私たちが眠っている間に逝ってしまったので、ぷちには付いていてやりたいと思っていました。
少し休もうかと、一度ぷちから離れたのですが、なんとなく虫の知らせというのでしょうか?
下に下りると、呼吸の間隔が非常にあいていて、息が止まってしまったのかと思うほどになっていて
しばらくついていると、大きな痙攣を起こし、本当に息が止まってしまいました。
ぷちの最期の顔は少し苦しげでしたが、翌日火葬していただくときに見ると、心なしか安らかな顔に
なっていました。
私は、ぴあとぷちがいるときは、どちらかというとぴあの方が可愛くて、ぴあが亡くなったときは本当に
ショックでいっぱいでした。さみしくて、それでもぷちがいてくれて、ずいぶんとなぐさめられていたのだと
ぷちを亡くしてみて改めて気づかされました。
ぷちを失ったことは、私の想像以上に大きなことだったのです。
ぴあのときは、「私ペットロスみたい〜」と軽く言えたものが、ぷちを亡くしてからは言えなくなりました。
二匹が大好きだった、一口あんぱんを買うこともできなくなりました。
幸いにして、我が家にはまだたくさんの面倒みなければならない猫たちがいます。彼らが手加減なく
早くご飯だせーとか、トイレ掃除しやがれよーとか私たちを追い立てるので、泣いているひまもありませんが。
余談ですが、亡くなる間際に、仲良しだったイッタがぷちのそばにきて座り、最後を私と看取ってくれました。
やっぱり何か通じるものがあるのかなぁと…
先日、お友達から頂いたリンゴを、ぴあの写真に寄せるように
供えました。
しばーらくして、りんごを頂くためにおろしてみると!
前から見ると瑞々しいりんごなのに、手に取るとぴあの写真に
くっついていたところだけが、なぜかしわしわに萎んでしまって
水気をすべて吸われてしまいました。
ぴあがだ〜い好きだった、りんご・・・
今でもやっぱりぴあはりんごを食べているのかなぁって
思いました。
母と二人、ぴあはやっぱりいるのかもねって辺りを見回して。
これはぷちの病気というよりは、私たちの病気かも(笑)
ぷちが、あとどれくらいがんばれるのかわからなくなった今、
ぷちの前に並ぶのは、ぷちの大好物だらけ・・・
だって、しょうがないんだもん、後悔したくないから。
それにもう短い人生だとわかってしまったら、好きなものを
体に悪いからなどと我慢させることなんてないと思うんです。
でも・・・ビールだけはやっぱり我慢ね(笑)
3日続けて治療に通ったかいがあって、ぷちの下痢はひとまず
とまりました。
食欲も相変わらずだし、うろうろとアクティブに動き回っていて
いつもと変わらないように見えてしまいます。
だけど、ぷちって我慢強いんです。
それを知っているので、普通にしているぷちがいとおしくなって
つい(涙)(涙)です。
このごろ、だるそうに寝ていることの多かったぷち、お医者さんで何度か
診ていただいていましたが、貧血といわれることが多く、トシのせいも
あるしなぁと考えていました。
そんな中、3日もひどい下痢が続いて、なんとなくこれ以上様子を見ているのも
よくない気がして、それなのにそういう時に限って木曜で休診だったりして。
木曜にやっている初めてかかる先生のところに行きました。
時間が遅かったこともあって、その日は下痢止めのお薬を頂き、翌日朝、
検査のために再度お医者さんへ。
一日ぷちを預けて、夕方迎えに行きました。
なんというか、もしかしたらそういうこともあるんじゃないかなぁと思っていた予感。
あたりでした。血管肉腫ではないかとのこと。
14歳という年齢だけでなく、肉腫が破裂すると大量出血を起こす可能性が
高いため、手術は若い犬でも危険ということ。
家族としては、ぷちの年齢を考えると、あとどれくらいかの寿命を楽しく過ごさせたい、
延命でしかない治療はせず、痛みがあるならそれを感じないでいいような
治療をしてもらう方向でお願いしました。
手術をしてもしなくても、いつかは肉腫は突然破裂してしまうわけで、それが
いつやってくるのかは誰にもわかりません。
半年先かもしれない、2ヶ月くらい先かもしれない、明日かもしれない・・・
ぴあが、14歳と2ヶ月がんばってくれたので、ぷちにはぴあの記録を超えてほしい
と思ってしまうのですが・・・
ひとりでいることにもだいぶ慣れたぷちです。 っていうか、お気楽になりすぎた帰来が・・・ この頃はいつもちょびっとだけ舌先を出して おなかも丸出しで、グーグー寝ていることが 多くなりました。 もしかしたらちょっとだけボケ始めたのかも しれません。 足も、ちょっと悪くなってきました。 でもあと2週間ほどで14歳だしね、ボケた って、寝てばかりだって、足が悪くなったって そんなの当たり前だと思うし。 このトシで自分の足で歩いて、冷蔵庫の前 でもトイレでもなんでも行かれるぷちに感謝 感謝です。 |
ぴあの代わりに置いてもらった青い ↑ 座椅子と寝てます。 ベロ出たまんま(笑) |
ぴあが亡くなってから一週間ほどすると、それまで元気だったぷちが、
急にしょんぼりし始めました。
ぴあが死んでしまったこと、わかってなかったのかと思うほどわかりやすいくらい
しょんぼりさんなのです。
ぴあの隣りにずっと一緒に寝ていたぷちは、ひとりではさみしそうで、
見かねた母が、ぷちの布団の隣りに座椅子を置いてやりました。
ぷちは夜、座椅子に体をすり寄せて眠っています。
ぴあを火葬するときに、お花とジャーキーを紙に包んでぴあの前足に抱かせました。
タオルケットで包んで、車に乗せる準備をしにほんの2、3分その場をはずし、戻ってきたら
ぷちがタオルケットをはだけさせ、ぴあが持っていたジャーキーを食べ尽くしていました。
・・・ぷちはそれでハイエナちゃんと呼ばれました。
ぴあがお骨になって帰ってきて、それまで寝ていた部屋に祭壇を作り、お骨と写真、水と
花とお供えを置いてやりました。
お供えは念のためガチガチにラップで包んで!
それもぷちは上手にラップだけはずして全て食べ尽くしてしまいました。
最初はチャン付けでしたが、そのあとはただハイエナと呼ばれています。
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